創聖のアクエリオン

なんか視点の定まらないアニメだなーと思って見てたが、大野木寛のコメントを読んで納得。
http://www.aquarion.info/staff_cast/staffcomment/ohnogi.html
つまり各キャラクターの物語内でのポジションを固定させないで、ロボットの合体のパターンが変わるのと同じように人間関係の現れ方もガッコンガッコン入れ替える作劇をやってみましょうと、ギャルゲ的とゆーかガンパレみたいなことをアニメでやってみましょーと、そういうことか。
いやー、それは脚本家マジ死ぬわ。「物語が転がり出す」とか「キャラが立つ」ってのは、各キャラが物語の中で収まるべきところにきちんと収まって関係性が定着することを言うのであって。
目論見としては面白いと思うが、まあ上手くはいかないだろうな。