RGN#4「シナリオライターの眼から見たテレビゲームの特異性」

http://www.glocom.ac.jp/project/rgn/
というイベント(?)が日曜にあったので行ってきた。
で、用事があっていけなかった友人からレポートするよう頼まれたので、かいつまんで内容を紹介してみる。


前田圭士氏の講演
まずゲームのシナリオの特徴として以下の4点が挙げられた。
・報酬効果
・参加意識
・選択制(分岐・並列)
・集団作業
上から三つについては、プレイヤーの「選択」に対して何らかの「報酬」が与えられることで、プレイヤーが能動的に物語に「参加」している意識が生まれるところがゲームの特徴であるということか。
最後の「集団作業」はゲームの表現としての特徴というよりは、実際仕事する上での心得みたいな話。ゲーム開発の現場に携わっている人だけに、コミュニケーション能力の低いライターに苦労してるんだろうなと(笑)。
その後の話は「参加意識をどうやって生み出すか」という点に絞って展開。
前田氏が挙げたポイントは2点。
・プレイヤーとキャラクターの行動原理を一致させること
・キャラクターの造型・台詞・行動を、プレイヤーが共感しやすいものにすること
前者の好例として、『カードヒーロー』という作品を取り上げていた。プレイヤーの取れるアクションの幅の広がっていくのと物語が広がっていくのがきちんとシンクロしているのが素晴らしい、らしい。


川邊一外氏の講演
順番的には二番目だが、時間も90分と一番長く、基調講演といった感じ。
テーマはずばり「ゲームとは何か?」。
まず最初に結論。ゲームとは「古代のサバイバル戦争を演戯するもの」である。
この方は、ドラマの根本テーマは「勧善懲悪(社会倫理)」であるという主張をされているのだが、ゲームの根本テーマは「Survive!(生きよ!)」なのだそうだ。
しかしドラクエなんかは勧善懲悪の物語であることも認めてるようだし、サバイバルの疑似体験という意味ではアクション映画やパニック映画だってそうだろう。なのでいまひとつスッキリしない内容。
それから映画のシナリオライティングの基本的な方法論の話があって、それとゲームの独自性を融合させた「インタラクティブ・ムービー」への展望とか。でもそれが既存のゲームとどう違うのかといった具体的なヴィジョンにまでは至っていない様子だった。


佐々木智広氏の講演
演劇畑の人ということで、劇中劇ならぬ「講演会中劇」という、講演とも寸劇ともつかぬパフォーマンスをされていたのだけど……なんだかよくわからんかった(笑)。講談を聞きに行ったら前の席で酔っ払いが暴れてて、講談に集中すべきか酔っ払いを注意すべきかという選択肢が頭の中でぐるぐるしてどうにもなりませんでした、みたいな話。たぶん。


ディスカッション
川邊氏の、FFXについて「登場人物がほとんどみんな死人って、変なドラマだなあと思った」みたいな発言から、GLOCOMの井上氏が「FFVII以降主人公が記憶喪失という設定が多い」というネタフリ。それを受けて前田氏が「主人公キャラはゲーム内世界のことをいろいろ知ってなければならないが、プレイヤーはゲーム開始時点ではそれらの知識を持ち合わせていない。そのズレを埋め合わせる上で記憶喪失という設定は便利。でも記憶が戻った後どうするかが難しい」といった話を。
で、川邊氏が「ゲームでも映画でも、最近の人は回想シーンに頼りすぎる」といった話。回想シーンはその結果が観客にも分かってるものだからドラマ性が乏しく、説明的なシーンになりがちなので、きちんと物事の発端から順を追ってドラマを展開させるべきということらしい。ただし回想シーンをうまく使った映画としてデヴィッド・リーンの『逢引き』と橋本忍の『切腹』という作品を挙げていた。回想シーンを使うコツは、クライマックスの直前にもってくることだそうだ。


以下雑感。
http://d.hatena.ne.jp/stj/20060121/p1
以前↑にも書いたけど、俺はゲームと物語というのはそんなに違わないものだと思ってる。川邊氏はなんとかその違いを明確にしようとしていたけれども、俺としてはむしろ「やっぱりあんまり違わないよなあ」という思いが強まった。
ただ違いがあるとすればやはり、主人公キャラとプレイヤー/観客の関係性の部分なんだろう。
前田氏は主人公キャラに共感を抱かせることの必要性を強調していたけど、この「共感」によって没入をうながすというのは、本来、物語の側の方法論なんじゃないだろうか。物語性が希薄なシンプルなゲームの場合、「共感」はそれほど必要ではない。ドンキーコングやるときに別にマリオに共感はしないだろ。
「共感」だけでプレイヤーを動かそうとすると説明しなきゃならない情報量がどんどん増えて、それをプレイヤーに受け入れさせるためにさらに強い動機づけを必要とするという悪循環に陥ってしまうのかも。